今回は、岡田茉利子さんについて書いていきたいと思います。
1950年代から60年代を中心に活躍した、戦後の日本映画を代表する女優であり、夫で、映画監督の吉田喜重さんとともに、映画プロデューサーとしても活躍しました。
ハーフと見紛う若い頃の美しい姿や、夫・吉田喜重さんとの出会い、現在の生活について調べてみました。
【画像】岡田茉莉子の若い頃も美人!
岡田茉利子さんと夫・吉田喜重との馴れ初めや現在は?
岡田茉利子さんのプロフィール
研ナオコさんの夫・野口典夫さんの記事はこちら
徹子の部屋出演者は>>こちら
【画像】岡田茉莉子さんの若い頃も美人!
岡田茉利子さんはお年を重ねてもおきれいです。
そんな岡田茉利子さんの若い頃の写真を集めてみました。
ハーフのようにお美しいです。
わたしは岡田茉利子も好きよ。見てこの色気w pic.twitter.com/gtCtuzSSlS
— nozo-chin🌻 (@nozochin1) May 4, 2019
フリーダム ルーム : 『岡田茉利子』 https://t.co/1u0vs3s8Wo pic.twitter.com/AMIqK9Cytl
— フリーダムルーム (@HMV104) November 6, 2018
#岡田茉莉子 (まりこ)さま、なんとお美しい。マーベラス。 pic.twitter.com/BZ1wzANVNU
— 里芋☆冷やしたぬき (@satoimo23) January 10, 2018
秋津温泉の岡田茉利子さん。 #WHOがなんか言ってるけどカッコいい喫煙シーン載せる pic.twitter.com/jApJ3eLxt3
— もうぴょん (@moupyon) February 1, 2016
今日は岡田茉莉子さん誕生日。稲垣浩版宮本武蔵の朱美役や小津の「秋日和」の日本人離れした輝ける美貌は、旦那様の演出による「秋津温泉」(ご本人が企画提案)「水で書かれた物語」では演技力と共に耽美的な妖艶さを増していよいよ大女優の貫禄。「タンポポ」のコミカルなマナーの先生役も素敵です。 pic.twitter.com/7HE6DInf2I
— 阿乱隅氏 (@yoiinago417) January 10, 2021
オードリー・ヘプバーンのようですね!
この年代の女優さんの若い頃の画像が複数ツイッターにあるのも、結構珍しいです。
岡田茉利子さんはその美しさから、ハーフでは?なんて言われていましたが、岡田茉利子さんの父は無声映画時代のスター岡田時彦さん、母は宝塚出身の田鶴園子さん。ご両親はお二人とも純日本人。
父の岡田時彦さんは、岡田茉利子さんが産まれた翌年に、持病の結核が悪化し、それが原因で30歳という若さで亡くなられました。
最後はその岡田茉莉子さんの父親の岡田時彦(1903-1934)です。
最近再掲ばかりですみませんが・・・。しかし本当にかっこいいですね。それではおやすみなさい。 pic.twitter.com/TxaKiGL8b0— 戦前~戦後のレトロ写真 (@oldpicture1900) July 9, 2021
当時の代表的二枚目俳優だったんだとか。
岡田茉利子さんが美しいのも納得です。
岡田茉利子さんが学生時代に友人と映画を見て、その話を母にすると、母は泣き出しました。そのわけをきくと、見た映画の主演が亡くなった父であり、岡田茉利子さんはもう一度その映画を、今度は父を見るために見に行ったというエピソードがあります。
夫・吉田喜重さんとの馴れ初めや現在についても
岡田茉利子さんは、1964年に映画監督の吉田喜重(よしだよししげ/きじゅう)さんと結婚。お二人とも1933年生まれの同い年です。
お二人の出会いは、1962年に岡田茉利子さん映画出演100本記念作品として出演した主演映画「秋津温泉」の監督が、当時松竹にいた吉田喜重さんという、女優と監督としての出会いでした。
「秋津温泉」岡田×長門:まっすぐな女の恋だった。女は待つだけでのみ歩んできた重すぎた歳月を、男は、ただ女との心地よい戯れに遊んだ。何かが壊れ、どこかが破れ、ずれてしまっていた。いつから知っていたのだろう。分かっていたはずだった。女はひとり死をえらんだ。どうしようもない男・・・。 pic.twitter.com/jtWey8czJD
— Colette (@Colette89677107) April 29, 2020
「秋津温泉」という藤原審爾さんの小説を題材に映画化を企画・提案したのは岡田茉利子さんでした。岡田茉利子さんは、以前一度スケジュールが合わず吉田喜重さんの映画に出られなかった過去があり、今回の映画化にあたり吉田喜重さんに監督をオファーしますが一度は断られてしまいます。
脚本は吉田喜重さん、カメラマンも指定、という条件を岡田茉利子さん側が引き受けて、吉田喜重さんが監督になったというエピソードがあります。
岡田茉利子さんは、この映画の成功で、これで女優を辞めようと思っていたそうですが、吉田喜重さんに引き留められました。
その翌年1963年に婚約、1964年に結婚。
「吉田と結婚したから、女優を一生続けようと思いました(朝日新聞・(語る 人生の贈りもの)より)」と、語っています。
お二人は旧西ドイツで海外挙式をし、そのまま新婚旅行で、結婚式~新婚旅行で約40日間ヨーロッパを放浪したといいます。
1966年、松竹を辞めた吉田喜重さんと現代映画社を創立。公私ともにパートナーとなります。
本日4/9とあさって4/11、パリの隣のモントルイユ市で、#吉田喜重 監督と #岡田茉莉子 さんが上映会に参加されます。『 #秋津温泉 』最高!https://t.co/mDEFlErXe3 pic.twitter.com/tC3zxz8p0a
— 林瑞絵 (@mizueparis) April 9, 2018
その後、岡田茉利子さんは、女優業の他に、プロデューサーとしての手腕も発揮し、吉田喜重さんを支えます。
お二人の間にお子さんはいません。
現在、お二人ともご高齢になり、どのような日々を過ごされているのでしょうか。
引用元:https://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/
徹子の部屋では、お二人でエアロビクスをされているなんていう、意外なお話もありました。コロナ禍でジム通いができなくなり、おうちで体を動かしているようです。
近年ではお仕事の数はあまり多くなく、ゆったりと過ごされているのではないでしょうか。
なんとお二人は、結婚してから一度も夫婦喧嘩をしたことがないそうです。仲睦まじいご夫婦ですね。
岡田茉利子さんのプロフィール
岡田茉利子さんのプロフィールについても。
徹子の部屋 岡田茉莉子 | 2019年8月9日 – 19.08.09https://t.co/QzIX2FXj4R#徹子の部屋 #岡田茉莉子 #2019年8月9日 pic.twitter.com/3qChcifoCo
— Tetsuko's Room (@TalkshowTetsuko) August 9, 2019
本名:吉田鞠子(よしだまりこ)、旧姓:田中
生年月日:1933年1月11日(89歳)
出身地:東京都渋谷区
血液型:A型
学歴:新潟市立沼垂高等学校(現新潟市立万代高等学校)卒業
身長:158cm
岡田茉利子さんは、戦後を代表する大女優です。
映画・ドラマ合わせて200本以上に出演しています。
幼少期は転居が多く、京都、東京、大阪、上海、静岡(疎開先)、新潟と、各地を転々としています。
新潟に住んでいた高校生の頃に演劇部に入部。
1951年、高校卒業後は叔母夫婦宅を頼り上京。叔父の勧めで東宝ニューフェイス(オーディション)第3期として、東宝演技研究所に入所。
入所して間もなく映画「舞姫」の準主役に抜擢。その後、東宝映画のスターになります。
1957年には松竹に移籍。移籍後も人気は続き、いくつかの作品では企画やプロデュースも。
1965年フリーに。
1966年、夫の吉田喜重さんと現代映画社を設立。
芸名を付けたのは作家の谷崎潤一郎さん。親子二代で谷崎潤一郎さんが名付け親になっています。
【画像】岡田茉莉子の若い頃も美人!まとめ
今回は、岡田茉利子さんについて書いていきました。
戦後・昭和を代表する大女優、若い頃のお姿がとてもお美しいですね。父は二枚目俳優、母は宝塚女優と、美しいのも納得です。
また、夫の吉田喜重さんとの馴れ初めなどについても調べていきました。
お二人は数々の作品に出演・監督されているので、一度、昔の映画を見てみるのも面白い発見があるかもしれません。
それでは、最後までご覧いただき、ありがとうございました。