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風間杜夫の若い時がかっこいい!現在は落語家?嫁や息子・娘についても調査

今回は、俳優の風間杜夫さんについて書いていきたいと思います。

風間杜夫さんといえば、最近だとNHK連続テレビ小説エールやマッサン、大河ドラマ、その他民放のドラマでの父親役や上司役などでおなじみの俳優。

子役でデビュー、一旦は芸能界を去りますが、20代で再び俳優として芸能界に戻ってきます。

若い頃の姿がイケメンでかっこいいので、その時の画像や、現在の落語家の活動、ご家族のことなどについて取り上げていきます。

風間杜夫さんの若い時がかっこいい!

風間杜夫さん現在は落語家?

風間杜夫さんの嫁や息子についても調査

風間杜夫さんのプロフィール

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風間杜夫さんの若い時がかっこいい!

風間杜夫さんは現在もナイスミドルなおじさんですが、若い頃はさぞかしイケメンだったのではないでしょうか?

画像があるかどうか調べてみました。

こちら、22歳ごろのお写真。なかなかイケメンです。

引用元:早稲田ウィークリー

24歳ごろの画像。なんでしょう…なんか、前歯が気になりますね…


Twitterより引用

こちらはなんだかイケメンと言うより、かわいい系ですね。


Twitterより引用

スチュワーデス物語の時の堀ちえみさんと。

 

なんだかちょっとセクシー?

 

ついでに、子役時代のも貼っておきます。




風間杜夫さん現在は落語家?

風間杜夫さんの現在の芸能活動などは何をされているのでしょうか。

風間杜夫さんは俳優業の傍ら、落語もされています。落語を始めたのは、舞台で落語家役を演じたのがきっかけ

1997年にはテレビで観客を前に一席演じたというからすごい。

その後は、立川文志さんの落語会に出演したり、春風亭小朝さんの企画の寄席出演をしたり、すっかり落語が板についてきます。

2006年、明治座で「風間杜夫と六人の会」公演。大銀座落語会への出演や、その他にも地方公演など、定期的に高座に上がっているようです。

こちらは割と最近のものです。

 

お近くの公演の際は、見に行ってみたいですね。

他業種から落語へ…というのは、最近だと月亭方正さんが記憶に新しいですね。




風間杜夫さんの嫁や息子・娘についても調査

風間杜夫さんは既婚者で、2人のお子さんがおり、さらにお孫さんもいるおじいちゃんです。

奥様は一般の方で、風間杜夫さんが25歳の頃に結婚。

父の介護を一緒になって頑張ってくれた奥様だということです。

そんな奥様との間には、一男一女が生まれます。お子さんは現在お二人とも結婚しており、それぞれにお子さんがいる様子。

息子さんは一般の方で、情報がありませんでした。

「風間杜夫 息子」で検索すると、ジャニーズ俳優の風間俊介さんが出てきますけど、全然無関係で親子ではありません。

娘さんは未歩さんで、翻訳家との事。1983年生まれで、上智大学仏文学部卒。ニューズワークという会社に勤務して2007年に「ドレスデン、運命の日」という本を翻訳しています。映画もあります。

娘さんを検索すると「宝塚」なんてワードが出てくるのですが、舞台「熱海殺人事件」で共演し、風間杜夫さんの娘役をしたのが元宝塚の女優・愛原実花さんなので、そのようなワードが出てくる模様です。

お孫さんは2017年時点では3人。息子さんご家族と同居していて、お孫さんをとてもかわいがっているようです。息子さん側の孫は男の子、娘さん側の孫は女の子2人。

いいおじいちゃんをしている様子が目に浮かびますね。




風間杜夫さんの経歴プロフィール

最後に、風間杜夫さんのプロフィールを。

本名:住田 知仁(すみた ともひと)

生年月日・年齢: 1949年4月26日 73歳

出身地:東京都世田谷区三軒茶屋

身長:171cm

血液型:O型

小学校:世田谷区立旭小学校

中学校・高校:玉川学園中等部・高等部

大学:早稲田大学第二文学部

風間杜夫さんは、父・辰男さんが映画会社の配給の営業をしていて羽振りが良く、終戦後に世田谷の土地に自宅を構え、そこで生まれ育ちました。

幼稚園の頃の学芸会で人が変わったように生き生きしているということで、小学2年生の頃、母に児童劇団に入れられ、その翌年に東映児童演劇研修所の一期生になり、子役として活動し始めます。

連続8本の映画に出演したり、小学5年生の時は撮影所のある京都で10か月間も暮らして全く学校に行けなかったりと、多忙な日々を送っていました。

「俳優を一生の仕事にするなら、子役の仕事をやめた方がいい(売れすぎた子役は大成しない)」という俳優の先輩・米倉斉加年さんの言葉に従い、13歳の時に劇団を退団。

中学・高校では演劇部に所属、一浪して入学した大学でも演劇をやりますが、大学では当時学生運動が盛んで、あまり演劇はできませんでした。。

その後は22歳のときに劇団「表現劇場」を結成。この頃の仲間には、後にコントユニット「シティボーイズ」を結成する斉木しげるさん、きたろうさん、大竹まことさんなどがいて、一緒に仕事をしたり、同居生活を送ったりしていました。

大竹まことさんとは、今でもよく共演しています。

1972年、23歳で現在の「風間杜夫」と言う名前で、日活ロマンポルノで映画デビュー。

1974年、テレビドラマに初出演(子役時代は除く)。1976年にはドラマレギュラーも獲得と、着々と仕事の機会を増やしていきます。

1977年のつかこうへいさんの舞台「戦争で死ねなかったお父さんのために」に出演して以降は、つかこうへいさんの演劇の主要キャストになりました。

一躍有名になったのは1982年の映画「鎌田行進曲」や、1983年のドラマ「スチュワーデス物語」でしょう。

趣味が高じて麻雀の番組に出たり、落語をしたり、声優をやったり、2018年には初めてのミュージカルに挑戦したりと、俳優業だけでなく様々なことに挑戦しています。

風間杜夫さん、つかこうへいさんに「日本で一番踊ってはいけない役者」なんて言われていたそうで、ミュージカルは大変だったみたいです。

でも、その年齢で新しいことにチャレンジする姿がかっこいいですね!

基本的には興味が湧けば何でもやってみるというスタンスのようで、チャレンジ精神が旺盛な方です。



風間杜夫さんの若いときがかっこいい!まとめ

今回は、風間杜夫さんについて、若い頃のイケメンな画像や、現在の活動について、それから家族のこと、ご本人のプロフィールなど、盛りだくさんでお送りしました。

風間杜夫さんは一見渋い役者さんですが、コミカルな一面もあり、今ではいいお父さん・おじいちゃん役が板についていますね。

俳優業以外に、落語をされていたのは知りませんでしたが、かなりのベテランのようでした。

かわいい孫もいて、今後もますます元気に活躍されることと思います。

 

それでは、最後までご覧いただき、ありがとうございました。