ジャパンベーカリーマーケティング株式会社代表で、全国各地に食パン専門店「考えた人すごいわ」、「午後の食パン これ半端ないって!」「考えた人すごいわ」「だきしめタイ」「わたし入籍します」「キスの約束しませんか」と変わった名前のお店をプロデュースしているベーカリープロデューサーの岸本拓也さん。
変わっているのはお店の名前だけでなく、そのファッションも!パン屋の社長には見えない奇抜な姿です。そのセンス、イケてるのかダサいのか意見が割れそうなところです。
今回はそんな岸本拓也さんのファッションをご紹介したいと思います。
岸本拓也さんのファッションが派手!
岸本拓也さんが奇抜な服装の理由は?
岸本拓也さんのファッションが派手すぎる!
岸本拓也さんのファッションが派手すぎます!
まるでドン小西さんどかファッションデザイナー的な雰囲気の個性的な服装ですね。街で出会ったら目を逸らしてしまいそうです。
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こんなファッションをしているのには、何か理由があるのでしょうか?次の項目で触れていきたいと思います。
岸本拓也さんが奇抜な服装の理由は?
岸本拓也さんのファッションが奇抜なのには何か理由があるのでしょうか?
先程のインスタグラムのファッションの画像には#音旅服食というハッシュタグが付いており、岸本拓也さんの発想の源は「音・旅・服・食」。自分が楽しまないとお客さんが楽しめない、という思いがそこにあります。
岸本拓也さんはもともとファッションが好きで、高校時代は音楽もやっていたので、バーバリーのマフラーを巻いて、ギターをもって、女性的な髪型をしていたんだとか。雑誌「poteto」で取り上げられたこともありました。
大学時代は関西の大学に行っていたので、アメリカ村で古着を買って着ていて、この頃から柄物と柄物を組み合わせるようなファッションでした。独特な関西のファッションに夢中になり、大学にはほとんど行かず、アルバイトばかりして、バイト代が入ったら服と彼女に使っていました。
この時のファッションが、今の岸本拓也さんのファッションの原点。
パンのプロデュース業を始めたころは、スーツを着ていたのですが、プロデュース業ではお客さんの要望に寄り添うだけではだめということに気付き、「振り切らなあかんな」と、自分の世界観をファッションで表現。
このファッションをすることにより、このやり方がいいと思った人に来てもらえるというメリットがありました。
今日の午後は渋谷PARCO。
「FACE.A-J PLUS」。
アフリカのファッションとカルチャーをテーマとしたポップアップショップに。
アフリカのカルチャーとクリエイティビティ。
背後のルーツにふれる貴重な機会。表現を自由に爆発させたい。#音旅服食#maxhosa pic.twitter.com/WbDmZRtrXY— 岸本拓也『パン屋で街を元気にします』 (@TOTSZEN_TAKUYA) September 7, 2021
岸本拓也さんのプロフィール
岸本拓也さんのプロフィールについても調べてみました。
名前:岸本拓也
生年:1975年
出身地:神奈川県
出身中学・高校:桐光学園中学校・高等学校
出身大学:関西外国語大学
1歳の頃に交通事故に遭い、そのショックのためか言語障害になり、子供の頃はどもっていたそうです。それで人前でしゃべるのが嫌で、引っ込み思案で幼稚園の頃は全然口をきかない子供でした。
小学生になるとそのどもりをからかわれて、いつも姉の影に隠れて泣いていたそう。今の岸本拓也さんからは想像できませんが、姉や親せきも女の子が多く、子供の頃はちょっと女の子っぽいところもあったそうです。
どもるのがコンプレックスでしたが、リハビリなどを経て、中学2年ごろからだんだん良くなってきました。
コンプレックス解消には、夏休みの父との日本全国のあてのない旅も大いに役立っていたそうで、岸本拓也さんの根底にある「音・旅・服・食」の中の「旅・食」の地盤はこの頃にできたようです。
中学・高校は、母がいじめを心配し、地元の公立校ではなく、私立の学校へ。良いリハビリの先生との出会いや、姉の家庭教師の大学生との出会い(音楽との出会い)で、だんだん明るい少年になっていきます。
高校では生徒会長を務めたり、町田や江の島で弾き語りをして、音楽で人を喜ばせる楽しみを知りました。
大学進学は、高校時代にバルセロナ五輪を見た時に、スペインの美しい景色を見て、ヨーロッパってすごい、ヨーロッパでどうやったら働けるのか考えていたところ、スポンサー広告に、「イベリア航空」という文字を見つけ、イベリア航空に就職して、男性キャビンアテンダントになろう、と思ったことから。
東京外国語大学は偏差値的に難しい、ということで、関西外大のスペイン語学科に進学しました。
学生時代憧れの地、スペインでの一枚
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大学時代はパブやスナックのアルバイトに明け暮れていました。単位ぎりぎりで卒業しますが、男性キャビンアテンダントの就職試験にはことごとく落ちてしまいます。バイト経験から、客商売が好きということがわかったので、横浜ベイシェラトンホテルに就職しました。
最初はホテルのマニュアル通りの接客が面白くなかった岸本拓也さんですが、ホテルのレストランの料理長と仲良くなり、目をかけてもらうように。岸本拓也さんが社内でワインの売り上げを競う企画で一位を取ったら、企画部門へ行くよう推薦してくれました。
そこでレストランやベーカリーなど、飲食部門のマーケティングを行うように。社外の人間と会う機会も多くなり、刺激もたくさん受けました。すると、父親がいつも仕事を辞めて喫茶店を開きたい、という気持ちがわかるようになり、独立しようと29歳で退職。
当時結婚していた妻や両親の反対もありましたが、西友赤羽店で派遣社員をしながら会社を設立、ホテルのベーカリーで働いていた同僚を誘って、30歳で横浜の大倉山にパン屋を開店。ここから、ベーカリープロデューサーへの道が始まります。
ちなみに現在の奥様は2回目のご結婚での奥様のようです。
岸本拓也のファッションが派手!まとめ
今回は、岸本拓也さんのファッションが派手!ということで、そのファッションの画像や、そんなファッションをしている理由などについて探ってみました。
自分が楽しまないとお客さんも楽しめない、そんな信念をもって皆が楽しんで買えるパン屋をプロデュースし続ける岸本拓也さん。
コロナ禍も何のその、破竹の勢いで店舗を増やしています。
あなたの街にも変わった名前のパン屋ができたら、岸本拓也さんプロデュースのお店かもしれませんね。
それでは、最後までご覧いただき、ありがとうございました。