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吉行和子の家系図がすごい!異母兄弟もいる?家族について徹底調査!

今回は、吉行和子さんにスポットを当ててみたいと思います。

吉行和子さんといえば、ドラマや映画でおばあちゃん役でおなじみの女優さんですが、その家系図がすごい!

今回の記事では、家系図を元に父・母・兄・妹などご家族について紹介、そして、異母兄弟がいるのかも調査しました。

吉行和子さんの家系図がすごい!

吉行和子さんの異母兄弟もいる?

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吉行和子さんの家系図がすごい!

吉行和子さんの家系図がすごい!家族全員が検索すれば出てくる有名人です。

ここには吉行和子さん中心で入れられませんでしたが、母・あぐりさんの姪(姉の娘)はピアニストの島村千枝子さんで、夫は医師の島村喜久治さん。その夫婦の息子が地震学者の島村英紀さんです。

ここから、子の家系図を元に吉行家のご家族をご紹介します。

父・吉行エイスケさん

本名:吉行栄助

出身地:岡山県

生没年:1906年5月10日~ 1940年7月8日

職業:小説家、ダダイスト詩人

作家ですが、1933年に執筆活動を辞め、株式を始めますが、実質的には家系は妻・あぐりが支えていたよう。

結婚後して長男が産まれた後、東京に転居しています。

女優の長岡輝子さんが吉行和子さんに「あなたのお兄さまの淳之介さんは確かにモテたでしょうけど、お父さまのエイスケさんは、もっとすてきで、いい男だったわよ」と言ったそうで、なかなか女性にもてる方だったようです。

34歳という若さで狭心症で急死。

吉行エイスケさんの父が経営していた「吉行組」は弟が継ぎ、現在も岡山県の建設会社として存続中。

当時は全然本が売れず、絶版になっていましたが、NHK連続テレビ小説でエイスケさんの役を野村萬斎さんが演じたことで、1997年頃から数点出版されました。

 

ダダイスト:ダダイズムの思想を持つ芸術家のこと。ダダイズムとは1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動で、第一次世界大戦に対する抵抗や虚無感を持ち、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想のこと。




母・吉行あぐりさん

本名:吉行安久利(旧姓:松本、辻)

出身地:岡山県

生没年:1907年7月10日~ 2015年1月5日(107歳没)

職業:美容師

吉行和子さんの母・吉行あぐりさんは、美容師の先駆けとして、山野千枝子さんとともに有名な方です。1997年にNHK連続テレビ小説「あぐり」のモデルにもなり、この頃はテレビ出演もよくされていました。

15歳の時に母に「学校に行かせてあげる」と騙されて吉行エイスケさんと結婚、翌年に長男を出産後、山野千枝子さんの元に弟子入り、2年間修業ののち、東京・五番町に山の手美容室をオープン。

1940年に夫と死別してからは、1949年・42歳の時に朝日新聞の記者・辻復(つじ あきら)さんと再婚。辻さんとはお店のお客さんとして出会ったそう。

1997年に辻復さんが亡くなるまで添い遂げましたが、あぐりさんは死別後は名字を「吉行」に戻しています。

また、美容師としては2005年まで現役で働き、当時日本最高齢の美容師免許所持者でした。107歳で亡くなられています。

あぐりさんは、本も何冊か出版されています。

“あぐり”は、次に必ず男子が生まれるよう願って付けられる女子の名前だといいますが、あぐりさんには姉はいましたが、弟がいたかは定かではありません。




兄・吉行淳之介さん

名前:吉行淳之介

出身地:岡山県

生没年:1924年4月13日~ 1994年7月26日(70歳没)

職業:小説家

吉行和子さんの兄。下の右側の写真の方ですが、かなりおモテになる方だったようです。吉行和子さんより11歳年上。

女性関係が派手で、結婚した妻の他に、長年同居していた女性や、その他にも愛人がいたといわれています。一見女性好きに見えますが、「女性嫌悪思想の持ち主というのは、どうしても女に無関心でいられない」と評されています。

また、3人兄妹で唯一結婚し子供がいるのは淳之介さんです。

大学を除籍後、編集部で働き、雑誌の編集などの仕事をし、新人漫画家の発掘の天才と言われていました。

編集の仕事をしながら執筆活動を開始、幾度となく芥川賞候補には上がりますが、受賞には至らず。

芥川賞を受賞したのは「驟雨」という作品。結核で入院中に受賞を知りました。これを機に、作家活動に専念します。

父エイスケさんは学問を軽視していましたが、 淳之介さんは東京大学英文科まで進んでいます。「父の小説を終わりまで読んだものは、一作もない」と述べています。

幼い頃は腸チフスで入院したり、気管支喘息で徴兵から返されたり、芥川賞受賞前は結核で療養していたり、あまり丈夫ではなかったのかもしれません。




妹・吉行理恵さん

名前:吉行理恵

出身地:東京都

生没年:1939年7月8日~2006年5月4日(66歳没)

職業:小説家

吉行和子さんの妹・吉行理恵さん。吉行和子さんの4つ年下。

早稲田大学第二文学部日本文学専修卒業。父や兄の影響を受け、文学に目覚め、執筆活動を始めます。

詩集が文学賞を受賞し、詩人というイメージが強かったようですが、1981年「小さな貴婦人」という小説で芥川賞受賞。当時は、兄妹で芥川賞受賞ということで話題になりました。

生涯独身で、兄や姉のようにメディアに出ることも少なかったようです。猫が好きで、ずっと飼っていたそう。甲状腺がんでしたが転移が見つかり、66歳で亡くなりました。

猫関係の作品も多いです。

吉行和子さんは、年の離れた兄よりも、年が近くて小さい頃いつも一緒だった妹の死がとてもショックだと話していました。




吉行和子さんの異母兄弟もいる?

吉行和子さんに異母兄弟はいるのでしょうか?

吉行和子さんの母・あぐりさんは、辻復さんと再婚しましたが、辻復さんには連れ子がいました。名前など詳細は不明ですが、女性で、妹になるようです。

吉行和子さんは、母が再婚したあと、姉や妹と3人で寝ているときに、義父が突然夜部屋に入ってきてみんなの布団を剥いで、自分の実の娘にだけ布団をかけて出ていったという出来事があり、それ以来吉行和子さんは、義父はいい人だけど、義父に心を開けないし、早く家を出たい、と思ったそうです。

そのあたりのエピソードはこちらの著書に詳しく書かれています。

また、父である吉行エイスケさんに婚外子がいるという不確定な情報もありました。

NHK連続テレビ小説「あぐり」で、吉行エイスケの子供を身ごもった女性が現れるというシーンがありますが、これが単なる脚本なのか、事実なのか…

事実であれば、吉行和子さんの異母兄弟ということになりますね。

エイスケさんもモテる方のようでしたし、可能性はありそうです。




吉行和子さんのプロフィール

ここまで書いておいて、吉行和子さんご本人のプロフィールがないのも変なので、こちらも併せて調べてみました。

名前:吉行和子

出身地:東京都

生年月日: 1935年8月9日

職業:女優

血液型:B型

学歴:女子学院高等学校

吉行和子さんは、小さい頃は喘息持ちで病弱、あまり学校にも行けませんでした。

吉行和子さんご自身は、兄や妹のように文学の道には進まず、高校卒業前に劇団民藝付属水品研究所に入所。

絵を描くことや裁縫など手先が器用で、女優としてではなく、裏方(衣装係)になるつもりで入所試験を受けたところ、女優として採用されました。

翌年初舞台、この年に主役も務めましたが、その後は地味な役が多かったそうです。

1955年には映画デビュー。

33歳で劇団民藝を退団し、フリーの舞台女優として数々の舞台や映画に出演。

1978年に「愛の亡霊」で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。

また、血筋なのか文学の方でも才能を発揮し、エッセイが賞を受賞。その後も本を出版しています。

若い頃に結婚歴がありますが、4年程で離婚。理由は、綺麗好きで、キッチンを汚すのが嫌で料理をしなかったことだそう。80代になって、初めて包丁を購入しました。

こちらは若い頃。おきれいですね!



吉行和子の家系図がすごい!異母兄弟もいる?まとめ

今回は、吉行和子さんの家系図・ご家族についてまとめてみました。

家系図を元にご家族について調査、また、気になる異母兄弟についても書いていきました。

文筆家の一族で、お母さんは連続テレビ小説にもなった方、とてもすごいご家族だったんですね。

吉行和子さんは、父は小さい頃にいなくなってしまい、母はずっと働いていて家にいなかったので、普通の家族の団らんなどを、女優になり、役で知ったとのこと。

これからもお元気で、みんなのお母さん、おばあちゃん役で活躍していただきたいですね。

ボリュームが多くなってしまいましたが、最後までご覧いただき、ありがとうございました。