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山口敏太郎の嫁や家族構成・経歴は?大槻教授を論破できたのはなぜ?

今回は、オカルト系の番組でよくお目にかかり、マツコの知らない世界「ゾンビ!UFO!儲かる!オカルトSP」にも登場した、山口敏太郎さんを取り上げていきます。

山口敏太郎さんは、作家・ライターとして活躍するほか、テレビタレント、YouTuberなどでも活動しています。

今日はそんな山口敏太郎さんについて、気になる3点をテーマに書いていきます。

山口敏太郎さんの嫁(妻)や家族構成は?

山口敏太郎さんの経歴は?

山口敏太郎さんが大槻教授を論破できたのはなぜ?

それではいってみましょう!

山口敏太郎さんの嫁(妻)や家族構成は?

山口敏太郎さんの嫁(妻)や家族構成は?

山口敏太郎さんはどんな奥様やご家族がいらっしゃるのでしょうか?

山口敏太郎さんはプライベートをあまり明かしていませんが、奥様がいることはわかっています。

ツイキャスの山口敏太郎さんのライブに奥様が登場するようです!

ファンの方にはおなじみになっている様子。

奥さんとの阿吽の呼吸、奥さんのアシストが素晴らしい、などなど、絶賛されています。

実際お会いすると、かわいらしい奥様のようです。

ラジオでも、山口敏太郎さんはまだ売れていなかった頃に夏しか仕事がなくて、奥さんに「あなたってオカルト界のチューブみたいね」と言われていたそうです。

ツイキャスの件といい、ツッコミが上手そうな奥さまですね!

山口敏太郎さん自身のTwitterでも、奥さんがラッシーを作ってくれた、と書き込みがあったりして、とても仲睦まじいご夫婦なのではないでしょうか。

一般の方ですので顔写真などはありませんでした。



山口敏太郎さんの経歴は?

山口敏太郎さんの経歴は?

山口敏太郎さんはどのようにして現在の活動に落ち着いたのでしょうか。

まずは山口敏太郎さんのプロフィールから見てみましょう。

名前:山口敏太郎(やまぐちびんたろう)

本名:間 敏幸(はざま としゆき)

誕生日:1966年7月20日(54歳)

出身地:徳島県徳島市

学歴:神奈川大学経済学部卒、放送大学大学院文化科学研究科修士課程修了

株式会社山口敏太郎タートルカンパニー代表取締役

山口敏太郎さんは、大学卒業後に日本通運に入社します。

本名の間敏幸名義で、本社首都圏営業本部時代に日本経済新聞、ワールドビジネスサテライトなどで、IT物流の解説やコメンテーターとして執筆していました。

若い頃だったと思いますが、一会社員としてはすごい活動ですね。

作家・山口敏太郎としては、30歳の時、1996年に「ムー」のミステリーコンテストにて論考「妖怪進化論」で優秀賞を受賞。

他にもいくつか賞を受賞し、フリーライター、専業作家に転向

現在は単行本やムック、雑誌などで執筆中。主にオカルトや妖怪系などが多いです。

今まで執筆した本は180冊を超え、ラジオ出演500本以上。

作家としてはもちろん、現在はタレントとして、そして山口敏太郎タートルカンパニーの代表取締役としても活動されています。

山口敏太郎タートルカンパニーとは

もともとは山口敏太郎さんの個人事務所として立ち上げた会社だったが、業務の拡大により出版・映像制作、作家、漫画家、ライター、イラストレーターのマネージメント業務などを行うようになる。
書籍の付録であったDVDの撮影・編集やWeb番組制作も行っている。
女優や芸人、占い師も在籍。

10年前からYouTubeでも活動されていて、その更新頻度がすごいです。

1週間前までに投稿・配信されたものが15本もあります。

全体だともう数百本の動画があり数え切れません。

よくネタが尽きないな…と感心せずにはいられませんね。

ちなみに山口敏太郎さんがオカルトにハマったきっかけは、ゲゲゲの鬼太郎で、70年代のオカルトブームでさらに夢中に。

しかし、高校生の時にプロレスで真剣勝負に見せた「やらせ」があることに気付き、オカルトにも同じことが言えるのではないかと調べた結果、捏造であることがわかりました。

大人になり、オカルト研究ライターになってさらに調べたところ、オカルトの95%はインチキだとわかったそうですが、残りの5%は真実であり、自身もオカルト体験をしていることから、今現在までその5%を追い求めて活動しています。

インチキについては、マツコの知らない世界でも心霊ビジネスの裏側として触れられていましたね!



山口敏太郎さんが大槻教授を論破できたのはなぜ?

ここからは山口敏太郎さんが大槻教授を論破できたのはなぜ?と題して、過去のインタビューなどから探っていこうと思います。

山口敏太郎さんといえば、年末のテレビ東京の番組「ビートたけしの超常現象マル秘Xファイル」で、大槻教授とやりあっているイメージがありますが、大槻教授が反論できなくなってしまったことがありました。

これはなぜかというと、山口敏太郎さんの作戦が功を奏したようです。

山口敏太郎さんのその時を振り返ったインタビューを一部抜粋してご紹介します。

当時出版社で雑誌制作を手伝っていた山口敏太郎さん。

出版社にビートたけしの超常現象マル秘Xファイルの番組制作サイドから「オカルト否定派の大槻教授に立ち向かえる人はいないか」という出演のオファーがあり、編集長の推薦で山口敏太郎さんが出演することになりました。

ただ、無名のライターでは論客である大槻教授の足元にも及びません。
そこで、打ち勝つ方法として、『こう言われたら、こう言い返す』と何個も作戦を練っておくことにしたんです。

ニコニコニュース インタビューより引用

番組収録前までに大槻教授の本を30冊以上も読み込んで備えていたそうで、そこで大槻教授を論破することができたといいます。

この収録であまりにも議論が白熱しすぎて、山口敏太郎さんはディレクターにスタジオの外に引きずりだされそうになりましたが、ビートたけしさんが「こいつを止めるなら、俺は帰る」と、かばってくれたんだとか。

そういった経緯もあり、全力で議論することができました。

番組出演後は反響が大きく、他の番組のオファーも増え、現在のような知名度のあるオカルト研究家になりました。

YouTubeを検索すると、その時の映像が見られますので、ご興味ある方は探してみて下さい。




おわりに

今回は、オカルト研究家の山口敏太郎さんについて書いてみました。

家族のこと、今までの経緯や、大槻教授とのこと、いろいろ調べてみましたが、オカルトへの愛や熱意がすごく、尊敬に値しますね。

これからもどんどんオカルトを研究して、もっと一般に広まるよう活動していってもらいたいところです。

それでは、最後までご覧いただき、ありがとうございました!