漫画家・イラストレーター

安彦良和のカープ愛がすごい!若い頃の画像は?嫁や息子・自宅についても調査

今回は、現在漫画家でイラストレーターの安彦良和(やすひこよしかず)さんにスポットを当ててみたいと思います。

安彦良和さんはもともとアニメーターで、機動戦士ガンダムシリーズの作画監督として知られています。そしてそのガンダムの漫画化の際には自ら作画を担当。また、それ以外にも漫画を多数出版しています。

そんな安彦良和さんについて、以下の点を調べてみました。

安彦良和さんのカープ愛がすごい!

【画像】安彦良和さんの若い頃

安彦良和さんの嫁や息子・自宅について

安彦良和さんのプロフィール

 

安彦良和さんのカープ愛がすごい!

安彦良和さんは大のカープファンとしても知られています。

北海道出身で関東在住の安彦良和さんがなぜカープファンなのでしょうか。

安彦良和さんは初優勝した1975年からファンだそうで、当時は赤ヘル旋風真っ只中で、それに乗せられてファンになったんだとか。

 

2013年に、中国新聞で漫画家10人が広島東洋カープの選手を描く広告があり、安彦良和さんは前田智徳選手を描きました。

それがこの時の広告です。4コマ目が安彦良和さんが描いた前田智徳選手です。

出典:FC2ブログ「にがいのみもの」より

参加している漫画家10人はこちら(敬称略)。皆さんカープファンだそうです。この広告は、中国新聞広告賞を受賞しました。

・乾良彦
・かきふらい
・かわぐちかいじ
・川原正敏
・東風孝広
・さだやす圭
・田中宏
・とだ勝之
・野村宗弘
・安彦良和

 

力強いタッチで描いています。

この仕事は、前田選手のサインボールをもらうことを約束して引き受けたそうですが、前田智徳選手だけでなく、前田つながりで前田健太選手のサインボールももらって儲けものだったようです。

前田智徳選手だけでなく、他の選手のイラストも。

この企画は2017年も行われています。

好きなものを描けるって素敵ですね。




【画像】安彦良和さんの若い頃

安彦良和さんの、若い頃の姿を見つけたのでご紹介したいと思います。

 


出典:Twitter

こちらはアニメ雑誌・アニメージュの昭和56年12月号別冊付録「安彦良和デザインノート」より。当時34歳

 


出典:https://twiman.net/

こちらは35歳の時。

 


出典:ガンダムエリアウォーズ ただいま進軍中 B面

こちらは上の写真よりも後と思われますが、いつのものかは不明です。

 

現在はすっかりおじいちゃんに。2021年12月で73歳ですが、それよりお年を召してるように見えますね。漫画家・アニメーターという仕事は過酷な状況ということもあり、ご苦労されてきたのではないでしょうか。過去には入院もされていますしね…。




安彦良和さんの嫁や息子・自宅について

安彦良和さんの家族やご自宅について調べてみました。

 

あまりプライベートなことは話さない安彦良和さんのご家族情報の収集には難航しましたが、ご結婚されてお子さんがいることは確かなようです。

安彦良和さんは青森の弘前大学出身ですが、奥様とは大学の時に知り合ったようです。奥様については、詳しいことはわかっていません。

また、子供については息子さんが2人いることがわかっています。

1973年生まれの長男がおり、安彦良和さんが脚本・演出・作画を手がけたアニメ「わんぱく大昔クムクム」の主人公のモデルに。

そして次男は大のガンダム好きだそうです。

次男は普段は父の漫画のアシスタントをしているそうですが、安彦良和さんが2001年に「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」の漫画連載の仕事を受けたのは、この息子さんのガンダム好きによるところが大きいんだとか。




安彦良和さんの自宅

安彦良和さんは現在、埼玉県の所沢市に住んでいます。

榎町という、新所沢駅から少し離れた閑静な住宅地にあり、こちらは自宅兼職場となっているようです。


出典:東洋経済オンライン

この職場でアシスタントの息子さんと漫画のお仕事をされています。

所沢市在住の漫画家というと、映画「翔んで埼玉」がヒットした魔夜峰央さんも、翔んで埼玉を描いていたころは所沢に住んでいたことで有名ですね。

珍しい名字なので、近所では有名人かも。

安彦良和さんの地元ということで、こんなマンホールもあるみたいですね。サイン入りです!




安彦良和さんのプロフィール

最後に、安彦良和さんのプロフィールを。

誕生日:1947年12月9日

出身地: 北海道紋別郡遠軽町

出身大学:弘前大学人文学部西洋史学科(退学)

安彦良和さんは子供のころから漫画家になりたいという夢を持っていました。

青森の弘前大学に進学しますが、学生運動に熱中し、大学を除籍になります。

その後上京し、旧虫プロダクション虫プロ養成所の2期生として入社し、アニメーターの仕事に従事。

虫プロの倒産後はフリーのアニメーターに。

その後宇宙戦艦ヤマトなどに携わった後、1979年「機動戦士ガンダム」ではキャラクターデザイン・作画監督を務めました。ただ、この期間中に病気で入院し、最後の10話には携わっていません。

漫画家デビューしたのも同年1979年、「リュウ」(徳間書店)に「アリオン」を発表し漫画家デビュー。アニメ化の際には監督に。

その後しばらくアニメと漫画家の仕事を両立していましたが、1989年以降は専業漫画家に。

アニメ業界を辞めた理由としては、ジブリ作品の台頭、その他にもクオリティの高いアニメが増えてきたことと、自分の監督作品に能力の限界を感じたためだといいます。

漫画家になってからは、神話や歴史を題材とした漫画を数多く描き、数々の賞を受賞しています。

史学科出身ということもあり、歴史がお好きなんでしょうね。



安彦良和のカープ愛がすごい!まとめ

今回は、ガンダムの作画で有名な安彦良和さんのカープ愛や、若い頃の画像、ご家族のことやご自宅についてかいていきました。

ご家族には息子さんが二人おり、ひとりが漫画のアシスタントで、ご自宅は所沢市にあるということもわかりました。

たくさんの作品を生み出してきた巨匠で、ガンダム好きからすると雲の上の人ですね。

これからもマイペースで創作活動に勤しんでもらいたいところです。

それでは、最後までご覧いただき、ありがとうございました。