今回は、「テルマエロマエ」で一躍有名になった、マンガ家のヤマザキマリさんを取り上げてみたいと思います。
ヤマザキマリさんの破天荒なお母さんの山崎量子さんについてや、お母さんが再婚後に生まれた妹さんについて調べてみました。
ヤマザキマリさんの母は元札幌交響楽団の山崎量子さん!
ヤマザキマリさんの母の破天荒エピソードがすごい
ヤマザキマリさんの母の現在は?
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ヤマザキマリさんの母は元札幌交響楽団の山崎量子!
ヤマザキマリさんのお母さんは、札幌交響楽団に所属していた山崎量子さん。
山崎量子さんはミッションスクールに通っていたお嬢様だったようですが、昭和35年、27歳の時に勤めていた会計事務所を辞めて、神奈川の実家を勘当同然で飛び出し、北海道へ渡りました。
音楽の道で食べて行く為…北海道で新しくできる札幌交響楽団に入団する為です。
ヴィオラ奏者として、札幌交響楽団の創立メンバーになります。
1980年1月の定期演奏会のプログラムより。
そこで、同じ交響楽団の指揮者の男性と結婚し、ヤマザキマリさんが産まれますが、父である男性は、ヤマザキマリさんが生まれて間もなくこの世を去ってしまいます。
その後、山崎量子さんは再婚し、ヤマザキマリさんの異父妹も産まれますが、離婚。
山崎量子さんは、2人の娘を抱え、シングルマザーとして生きていくのですが、いわゆる「普通の母親」の枠にとらわれない、自由な育児をされていたようなので、次の項目で触れていきたいと思います。
ヤマザキマリさんの母の破天荒エピソードがすごい
ヤマザキマリさんの母・量子さんの破天荒エピソードがすごい!普通のお母さんとは一味も二味も違います。
・遠足のお弁当がマーガリンと砂糖を塗った食パンだった
・あっさり学校をずる休みさせてくれた
・学校を休ませて演奏旅行に連れていく
ヤマザキマリさんは、子供心に、この人に母業は務まらないと諦めていたそうで、普通の母親像というものも求めていなかったようです。
嫌がることは無理強いしない母であり、ヤマザキマリさんも幼い頃は、音楽家の母に楽器をやらされたそうですが、やらされるのが嫌で、ヴァイオリンを地面に叩き付けてやめたそうです(笑)
ここらへんのことは、ヤマザキマリさんのお母さんのことを書いた著書にも!
ヤマザキマリ『ヴィオラ母さん』、おもしろい!深夜、迂闊にひらいたらいつのまにか朝…
食パンのみの弁当箱、北の大地を疾走する茶色のクラウン、失踪大工のアール・ブリュット?チロル風建築、視覚にもたのしい。が、やはりリョウコさんの愛、プライド、自由な生、すばらしい!
旅に出たくなった。 https://t.co/lvy0EQviSf pic.twitter.com/C93k0LfdYg— FMR (@enotsky1111) August 21, 2021
また、山崎量子さんが行く予定だったヨーロッパ旅行、突然予定が入り行けなくなったため、当時14歳だったヤマザキマリさんが行くことに。
ドイツとフランスの予定で、量子さんの友達の家に泊まり、あちこち回ったそうですが、英語もおぼつかなく、途方に暮れる経験もしたそう。
その旅の終わりにパリのルーブル美術館に行くために、ブリュッセルの駅でウロウロしていると、視界に入ってくるおじいさんがいて、変な英語で「家出人だろう」と話しかけてきました。
そのおじいさんはイタリア人の陶芸家で、ヤマザキマリさんに「イタリアが入ってないなんてセンスのない旅」と言い、「イタリアに来なかった時点でこの旅は大失敗だ、お前が日本についたら無事に着いたかどうか手紙をよこせ」と連絡先を渡され、ヤマザキマリさんは、ルーブル美術館に行った後に帰国。
帰国後、ヤマザキマリさんは「感じの悪いイタリア人に会った、この旅は私が行かせましたって送ってよ」と量子さんに言うと、量子さんは手紙を書いて送ったのですが、いつの間にかそのイタリア人とメル友に。
そのおじいさんはマルコといい、頻繁にやり取りする仲になり、すっかりお母さんも信頼して、ヤマザキマリさんが17歳の頃には、「一度娘をイタリアによこせ。全ての道はローマに通ずるのだから、イタリアに来てアカデミックな美術環境を見せろ」と言われたので、ヤマザキマリさんは高校を辞めてイタリア留学に行くのでした。
17歳の時のヤマザキマリさん。
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ヤマザキマリさんは、後にこのマルコおじいさんの孫と結婚します。
「」のセリフの引用元:別館.net.amigo
ヤマザキマリさんの母・山崎量子さんの現在は?
山崎量子さんは、現在は認知症の為、北海道の病院に入院しているそうです。
入院するまで、認知症を認めず、娘たちの介護を拒否していたという量子さんですが、入院後は優しい、穏やかな顔になっていったそう。
娘たちに弱みを見せることはなかった気丈なお母さん。80になっても細々とヴァイオリンを教えていましたが、認知症の症状がいろいろ出てきて、これは医者に診てもらわないと…と娘たちが思っていたところ、パーキンソン病が悪化し、倒れてしまいました。
以前、量子さんは、年をとっても施設に入れないでほしい、よその老人と話が合うわけない、と言っていたそうですが、入院後は周りの方たちとうまくやっているご様子。
昔から交響楽団のメンバーやたくさんの人に囲まれていたので、ひとりよりも、人と一緒の方が安心なのかもしれないということでした。
ヤマザキマリさんの母は元札幌交響楽団の山崎量子!
今回は、ヤマザキマリさんのお母さん・山崎量子さんについて調べてみました。
一味違った母親との生活は、他の子とは違う経験がいっぱいできたようで、なんだかちょっとうらやましいですね。
そんなヤマザキマリさんも、波乱万丈な人生を歩んでいます。
いざ自分が親の立場になったとき、山崎量子さんと同じことができるかといったら、難しくて自分にはできないと思うのですが、なんだか憧れてしまいます。
周りの目を気にせず、のびのびと自分の思うような育児ができたらいいですよね。
それでは、最後までご覧いただき、ありがとうございました。
29歳