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庄野真代の結婚・離婚した夫は?現在と若い頃の画像やヒット曲についても!

今回は、シンガーソングライターの庄野真代さんについて調査していきたいと思います。

庄野真代さんは、「飛んでイスタンブール」などで有名なシンガーソングライター。曲は知らなくても、曲名は一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

今回は、そんな庄野真代さんの元夫についてや、若い頃の画像やヒット曲、プロフィールなどについてまとめてみました。

庄野真代さんの結婚・離婚した夫は?

庄野真代さんの若い頃の画像

庄野真代さんのヒット曲

庄野真代さんのプロフィール

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庄野真代さんの結婚・離婚した夫は?

庄野真代さんは、1977年に作曲家の小泉まさみさんと結婚。二人の女の子が産まれますが、1988年に離婚されています。

小泉まさみさんは小泉まさみ&こんがりトーストという音楽ユニットを経て、当時、アグネス・チャン、あいざき進也、柏原よしえなどアイドル歌手の作品を多く手がけていた作曲家でした。

1980年~2年間の、庄野真代さんの世界一周の旅にも同行しています。

こちらの原真祐美さんの楽曲「わかってマイ・ラヴ」は、作詞が庄野真代さん、作曲が小林まさみさんと、夫婦合作です。

合作の曲は他にアグネス・ラムさん「さよならは言わない」、伊藤つかささん「横浜メルヘン」中森明菜さん「夢遥か」など。

庄野真代さんの楽曲「逃亡者」「そうしましょうね」も手掛けています。

離婚理由については明かされていませんが、現在一人暮らしを満喫し、家族と生活することに窮屈さを感じていらっしゃるようなので、そのあたりも理由の一つにあるのかもしれません。

 




庄野真代さんの若い頃の画像

庄野真代さんの若い頃(70~80年代)の画像を集めてみました。

 

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時代なのか、とても個性的な髪型やファッションでした。

当時のアイドル歌手などに比べると随分大人っぽい印象です。

 




庄野真代さんのヒット曲

庄野真代さんのヒット曲と言えば、1978年にヒットした「飛んでイスタンブール」。5枚目のシングルで、念願のヒット。この年は紅白歌合戦にも出場しました。

作曲家の筒美京平さんが野口五郎さんに作った曲でしたが、女性ヴォーカルの方が合うという事で庄野真代になったんだとか。

ジャケットは3種類あるそうです。

 

他にも有名な曲としては、1978年の「モンテカルロで乾杯」「マスカレード」、1980年の「Hey Lady 優しくなれるかい」など。

こちらで紹介した曲がすべて入ったアルバムはこちら。

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庄野真代さんはアイドルではなく、当時流行していたニューミュージックというジャンルの歌手でした。

ニューミュージックとは

シンガーソングライターによる新しいポピュラー音楽、欧米のフォーク-ソングやロック・ポップスの影響を受けた音楽(諸説あり)。

 




庄野真代さんのプロフィール

ここで、庄野真代さんのプロフィールについても。

生年月日/年齢:1954年12月23日 66歳

出身地:大阪

血液型:B型

学歴:法政大学人間環境学部、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科国際関係研究科

性格:温厚・潔い

趣味:体を動かす事・資格取得

持ち物:体力・勇気・夢

庄野真代さんの人生は変化に富んでいます。

宝塚歌劇団に入りたかった母と流しのお兄さんになりたかった父の間に生まれた庄野真代さんは、歌手になる素地はじゅうぶんあったと思われます。

幼少時代は病弱でしたが、オルガン教室に通うなどで音楽を好きになります。9歳で大病を患った後に何故か健康になり、そこからは活発な女子に。中学では生徒会長を務めます。

子供の頃はグループサウンズが好きで、その中でも特にタイガースのファンでした。

高校時代にバンドを始め、ギターを教わったりコーラスを務めたり、後にリードボーカルもできるようになって、音楽活動に明け暮れました。

大学受験に失敗し、浪人を決意。しかし大学はいつでも行ける、ということで音楽活動にのめり込み、ヤマハボーカルタレントオーディションで合格、上京。

その後は池袋のゴーゴークラブで歌ったり、三重県の合歓音楽院でも半年の研修を受け、ヤマハのポピュラーソングコンテスト会場で応募者の曲を歌う譜面歌手の仕事をしました。

しかしヤマハは恵まれ過ぎていてぬるいと感じた庄野真代さんは、大阪に戻って歌手活動をしますが、芽は出ずに、これで最後にしようと「フォーク音楽祭」に応募。関西四国決勝大会でグランプリを獲得し、全国大会でスカウトされ、晴れて1976年レコードデビュー

1977年に作曲家の小泉まさみさんと結婚。1978年、レコード5枚目の「飛んでイスタンブール」がヒット。

1980年、休業宣言して、夫とともに世界一周バックパッカーの旅に。 4月に旅立ち、日本からタイ、インド、ソ連、ヨーロッパ、アフリカやトルコも周り、その年のクリスマスにはアメリカへ。

アメリカでは中古車を買い、宿無し生活や居候、ハウスキーパーなどをしながら旅を続けます。この間にエッセイ「THE 漫遊記」を執筆、1982年3月末に帰国。

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2年間にわたる28カ国132都市の旅で、この間に妊娠、ロサンゼルスで長女を出産しています(次女は東京生まれ)。

1988年離婚、ミュージカル「アニー」で舞台に初挑戦。

1991年、シンガポール・マレーシア・香港でCDを発売、アジアデビュー。

1999年に自身の事故や病気での入院を機に、人生何があるかわからない、やりたいことをやろうと決意し、翌年2000年、世界旅行の頃から関心のあった環境について学ぶため、45歳で法政大学人間環境学部に入学。在学中にイギリスのウェストミンスター大学に留学。

大学卒業後の2004年には早稲田大学院アジア太平洋研究科へ。修了後の2006年、NPO法人国境なき楽団(現在は国境なき楽団PLUS)を立ち上げ、代表を務めます。

世界各国で楽器支援活動、チャリティーコンサートなどを行っています。

2010年、第22回参議院議員通常選挙に民主党から比例区で立候補するも落選。

2014年より法政大学人間環境学部兼任講師も務めています。また、ご自身が女将を務める下北沢一番街風歌fugaハウスで、子ども食堂しもきたキッチン主宰

音楽活動、芸能活動、ボランティアなどの社会活動、一時は政治活動まで行っていた庄野真代さん、すごくアクティブな女性ですね。



庄野真代さんの結婚・離婚した夫は?まとめ

今回は、庄野真代さんについて調べてみました。

離婚した元夫についてや、若い頃の画像、ヒット曲、そしてプロフィールなどについてまとめました。

肩書きはシンガーソングライターですが、ボランティアなどの様々な活動を精力的に行っています。

現在は猫二匹と気ままな一人暮らしを楽しんでいるご様子。離婚して戻ってきた長女との生活も、初めは楽しかったようですが、後に庄野真代さんが家を出ています(笑)

 

それでは、最後までご覧いただき、ありがとうございました。