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吉田兄弟の三味線は父親がきっかけ!両親の英才教育や師匠についても調査

今回は、津軽三味線奏者として活動する吉田兄弟(兄・良一郎、弟・健一)について書いていきたいと思います。

なぜ子供の頃に津軽三味線という、おおよそ子供らしくない楽器を始めたのか、父親や母親など両親は一体どんな人なのか。どのようにして今のような吉田兄弟になっていったのか調査してみました。

吉田兄弟の父親が子供たちに三味線をやらせたきっかけや理由は?

吉田兄弟の父親の英才教育エピソード

吉田兄弟の師匠は父が選んだ家元・佐々木孝

 

吉田兄弟の両親が子供たちに三味線をやらせたきっかけや理由

まず、吉田兄弟の両親はどんな人なのでしょうか。

父親は、高校卒業後に機械技師として炭鉱に勤め、その後設計会社に勤めていた誠一さん。手取り約20万円だったといいます。

母親は、誠一さんより6歳年下の良子さん。スーパーの花屋で時給500円のアルバイトをしていました。

吉田兄弟が三味線を始めたきっかけ・両親が三味線をやらせた理由は何だったのでしょうか。

吉田兄弟の兄・良一郎さんが幼稚園に入園し、園の友達がピアノや電子オルガンなどの楽器を習い始めたのを見て、良一郎さんは自分も何かやりたい、というと、父の誠一さんは即座に「三味線をやれ」と言い、すぐに師匠も決めてしまいました。

父・誠一さんは、高校を卒業後に機械技師として炭鉱で働いていましたが、その時に巡業に来ていた津軽三味線を聞いて、衝撃を受けます。「男が一生をかけてもいい楽器」と思い、自分も師匠について津軽三味線を始めますが、両親の反対により、プロへの夢は諦め、自分の夢を、子供たちに託す形になります。

兄・良一郎さんは5歳から三味線をはじめ、遅れて弟の健一さんも、5歳になってから三味線をスタート。

まずは津軽三味線ではなく、民謡三味線と呼ばれる細竿(ほそざお)の三味線でした。

練習を重ねる努力家の兄に対し、弟は一度で歌詞や振りを覚える天才肌だったと言います。




 

吉田兄弟の父親の英才教育エピソード

父親の誠一さんの勧めで、吉田兄弟は三味線を始めましたが、父親の指導はとても熱心でした。

まずは父お手製の、手作りの三味線で練習。風呂桶やシャベルを使って作り、弦は釣り糸を代用したもので、音は出ませんが、姿勢や持ち方の練習に使いました。

夕方5時までに子供たちが帰宅すると、母親の良子さんは誠一さんが帰ってくる前に三味線の準備。

誠一さんが帰ると、1階の3部屋続きの真ん中の部屋に陣取り、左右の部屋を兄と弟それぞれの練習部屋として、息子たちの練習に聞き入っていました。

間違いを注意したり、音色を批評したりしていましたが、注意を受けた息子たちが「だったらお父さんが弾いてみてよ!」と返すと、父は「俺は弾けないが、聞く耳は持っている」と返したそう。

父親は子供たちに勉強をしろとは一度も言わなかったようですが、三味線をやらせることに関しては熱心でした。子供たちには三味線中心の生活をさせたがっていたようです。

逆に母親は「周りの友達みんなと同じ事もさせてあげたかった」と、三味線中心ではなく、他の子供たちと同じようなことをさせました。

スケートボードやスキーも、父は骨折の心配があると反対しましたが、母は好きなようにやらせていました。

父が不在の時は、三味線の練習をさぼらせたりしたことも。

あまりがんじがらめにすると、習い事を嫌がってしまう子供もいる、ということをよく理解していたのかもしれません。

吉田兄弟は、三味線を習っているということは年寄りくさくて恥ずかしかったのか、友達には内緒にし、母には「中学生になったらやめる」と話していたそうです。

結局、やめることはなかったようです。



吉田兄弟の師匠は父が選んだ家元・佐々木孝

兄が小6、弟が小4の時に、2人が津軽三味線を始める時期になったと感じた父・誠一さんは、習わせるなら第一人者にと選んだ師匠が、奏者としても有名な日本民謡三絃道佐々木孝流、初代・佐々木孝さんでした。

かつて父がプロを目指したときに師事した師匠でもあります。

最初は断られましたが、何度も頼み込み、演奏を聞いた家元は、入門を許可し、自ら教えることとなりました

何か兄弟に光るものを感じたのかもしれません。

入門した後、津軽三味線大会への参加によって兄弟の意識が変わり、お互いをライバルとして切磋琢磨したり、同世代のライバルの出現で、練習にも熱が入るようになりました。

吉田兄弟は津軽三味線全国大会などにも出場し、頭角を現していきます。

吉田兄弟の三味線は父親がきっかけ!まとめ

今回は、吉田兄弟の三味線をはじめたきっかけが父親であること、父親が熱意をもって子供たちに三味線を教えていたことなどを書いていきました。

お父さんが熱心に子供たちを楽器のプロにしようとする、というのはなかなか珍しい事だと思いましたが、かつての自分の夢を子供たちに託していたんですね。

父の伝手で良い師匠に巡り合い、吉田兄弟も本気で練習し、津軽三味線でプロになり今日に至りますが、このお父さんなくして吉田兄弟を語ることはできないのではないでしょうか。

それでは、最後までご覧いただき、ありがとうございました。